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SONY VAIO PCG-SR9/K使用記 (その6) [思い出]

その5の続きです。
[その1] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-09-16-3
[その2] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-09-26-2
[その3] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-10-26
[その4] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-12-13-1
[その5] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2006-02-21

2002 FIFA WORLD CUP JAPAN/KOREAが始まった。どのチャンネルにもカーンとベッカムとイルハンとツネ様がいた。
世の若者は皆ソフトモヒカンにしていた。僕は丸坊主にしてみた。なんか気合を入れなきゃいけない気がしたのだ。サングラスをかけて黒いスーツにダーク系のシャツ、細い黒のネクタイを締めて歩くとみんながよけてくれた。あぁ。。。気にせずお年寄りに席を譲ったりしてた。

結局日本はトルコに負けた。大泣きする市川や戸田を見てグッときた。でも負ける予感はしてた。
後に発売されたドキュメンタリィ『六月の勝利の歌を忘れない』を見るとわかるんだけど、チュニジア戦後(予選突破後)、監督も、中田英寿でさえもがどこか緩んでいた。舞台裏を見ると、敗北が必然だったことがわかる。多分選手もスタッフも、わけがわからないうちに負けてたんじゃないだろうか。
ドイツではそのようなことがないように、がんばっていただきたい。

六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間ドキュメント DVD-BOX

六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間ドキュメント DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2002/11/20
  • メディア: DVD


絶対に観たほうがいい。絶対に。

こういうことを書き出すと止まらないのでこの辺で閑話休題。

2002年はワールドカップの興奮を引きずりつつ、こともなく過ぎていった。母が還暦を迎えた。友人が結婚した。その位だ。
2003年。結納をしたり結婚をしたり、プライベートではいろいろあったが、VAIOについてなにかあったかというと、あまりなかった。そう、完全に安定したのだ。
一つトラブルがあった。バッテリーがダメになったのだ。コンセントを抜いた瞬間に電源が落ちるようになってしまった。約三年、十分がんばってくれたと思う。バッテリーを買いに行ったところ、既に初代SR9カラー(薄いバイオレット)のバッテリーは販売しておらず、当時ラインナップされていた後継のVAIOカラー(ネイビー)のバッテリーしかなかった。

リチャージャブルバッテリーパック(L) PCGA-BP2S/HI(sonystyle)
http://www.jp.sonystyle.com/Qnavi/Detail/PCGA-BP2S_HI.html

因みにこれら後継機の色がティターンズのガンダムMk.IIカラーだと言って嬉々として購入している先輩がいた。お元気だろうか。コンピュータ名もズバリ[TITANS]だった。気持ちはわかる。

[参考]バイオノートSR PCG-SR9M
http://www.sony.jp/ProductsPark/Consumer/PCOM/PCG-SR9M/
[参考]ガンダムMk.II ティターンズVer.
http://img5.dena.ne.jp/ex51/cb/14/625326/6/32531238_1.JPG

僕は結婚のタイミングで10年間暮らしていたアパートから引越し、そのタイミングでプロバイダをYahoo! BBからBフレッツに変更した。
本当はYahoo!BBのままが良かった。手続きとか面倒だし、Bフレは高いし。回線速度はADSLで十分だった(当時のADSLは最速サービスが12Mbps)。『サポートが悪い』とか『アホーBB』とかって言われていた(る)けど、僕はそもそもサポートに電話することがなかったから関係なかった。
NTTに事前に電話してADSLが引けることを確認していたにもかかわらず、実際に引っ越して回線確認したら光収容になってた。NTTもテキトーだ。かなりムカッとした。116のオバちゃんを信じた僕がバカだったのだ。こうやって一歩引いてしまうのが僕の悪いところなのかもしれない。押しが弱いんだ。最近は強めに生きることにしている。
ヨメの仕事の都合上(在宅でウェブデザイン)、高速インターネット回線は必須条件だったから、仕方なくBフレを申し込んだ。結局Bフレッツが開通したのは引っ越してから2ヵ月後。2003年12月だった。その間ヨメはAIR H゙を使ってた。僕は大きなデータは会社でやりとりして、家ではほぼメールのみ、という生活をしてた。
電話機のモジュラーを抜いては
『ピポペポピポペポペピ...ツツツ...ピーヒョロロローペーボイボイボイボイボイ...』
と接続する時代に戻った。

Bフレになったからといって僕のLANカードはUSB1.1に接続していたから、ハードウェアがボトルネックになって100Mbpsは体感できない。ヨメのマシンでブロードバンドスピードテストしたら下りが30~50Mbpsだった。でも体感ではわからない。

せっかくだからとLANアダプタを買い換えた。USB2.0に対応した10/100Mbps対応LANアダプタにしたのだ。でも結局接続先はUSB1.1だからかなり関係なかったんだけど。まぁ、気分の問題。

Buffalo LUA-U2-KTX(バッファロー)
http://buffalo.melcoinc.co.jp/products/catalog/item/l/lua-u2-ktx/index.html

BUFFALO LUA-U2-KTX USB 10M/100M LANアダプタ

BUFFALO LUA-U2-KTX USB 10M/100M LANアダプタ

  • 出版社/メーカー: バッファロー
  • 発売日: 2003/10/31
  • メディア: エレクトロニクス

それまで使っていたBuffalo LUA-KTXと比べると、速度以外にも良いところがあった。

Buffalo LUA-KTX(バッファロー)
http://buffalo.jp/products/catalog/item/l/lua-ktx/index.html

LUA-KTXはLANケーブルを接続する際にラッチガイドを開けて接続するんだけど、僕はこのラッチの抜き差しを毎日最低2回(会社と自宅)で行う。しばらくするとLANケーブルの爪ガイド部分が甘くなってしまって断線してしまうことが良くあった。最終的にはLANケーブルを挿してもちょっとした衝撃ですぐに外れてしまうようになった。でも当時発売されていた他のメーカーのUSBLANアダプタは大抵カプラケーブルタイプでさらに丸っこいデザインでひどくかっこ悪かったので、結局同じものをもう一台買っていた。
このLUA-U2-KTXはそういう可動部品がないため頑丈だった。

2003年は終わりを告げる。2004年はこのマシンにとっていろいろあった年になった。

~もうちょっとだけ続くのじゃ~

一年ぶりにその7を書いた。
http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2007-06-04-1


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