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SONY VAIO PCG-SR9/K使用記 (その4) [思い出]

その3の続きです。
[その1] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-09-16-3
[その2] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-09-26-2
[その3] http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2005-10-26

ほどなく僕はブロードバンダーとなった。今はなき東京めたりっく通信に加入したのだ。今ではありえないが、工事費用や初期費用は全額負担した。3万円ほどした。1.5MbpsのADSLサービスが月額7,000円もした。それでも僕は、会社と同じ通信環境が自宅にできて幸せだった。OCNエコノミーが月に数万円だったことを考えると、価格対性能比を考えた場合ものすごく安いと思っていた。

[参考]OCNエコノミー
http://www.ocn.ne.jp/ocnweb/service/eco/index-e.html
128Kbpsで33,000円だって。うへぇ。

最初に送られてきたADSLモデムは不良品だったし、接続開始日に局側の工事が済んでおらず、いつまでたってもLINKランプが点灯しなかったが、それでも東めたに電話をしたら数日後には点灯して使えるようになった。それに、そのADSLモデムにはルーター機能までついていた。だからハブを一台買うだけで家中のマシンからインターネットにアクセスできるようになった。


[東京めたりっく通信時代のADSLモデム]

iMac DVSEでiTunesを起動させてネットラジオを聞き流し、iMac(Rev.A)を遊びに来た姉が使い(当時姉は隣のアパートに住んでいた)、僕はVAIOでレシピを検索して料理を作る。。。
想像していた未来は、21世紀に少しだけ実現した。

喜びも束の間。PCカード問題が再燃した。

LANカードは常時使用するものとなったため、ブルースクリーンの発生頻度が上がったのだろうか。とうとうPCカードを誤認識するようになってしまった。PCカードを挿すと"新しいハードウェアの接続ウィザード"が起動してしまうのだ。正常に認識するのが3回に1回くらい。こうなってはもう使えない。PCカードスロットが、壊れてしまったようだ。多分もっと早く気付いていれば保証期間内に直せたかもしれない。しかし、だましだまし使えてしまったことが修理に向かわせるのをためらわせ、それにもうこのVAIOは一日たりとも無くなっては困る、大事なツールとなってしまっていた。

PCカードスロットがだめならUSBだ、ということで当時出回り始めていたUSBスロットに挿し込むタイプのLANアダプタを購入した。デザイン上許せるのがメルコ(当時のBuffalo)製しかなかったので、仕方なく買った。
Buffalo LUA-KTX
http://buffalo.melcoinc.co.jp/products/catalog/item/l/lua-ktx/

初めからこれにすれば良かった。ブルースクリーンは、その日以来全く見なくなった。10BASE-Tだったけど、どうせ接続先はUSB1.1だから気にしない気にしない。
ありがとうメルコ(当時のBuffalo) LUA-KTX。メルコ(当(ryはとても良い会社だと昔から思っていた。メルコを悪く言う人間は許さないぞ。誰だ、ダメルコなんて言うヤツは。
それから僕はしばらくの間メルコ製品をいろんなお客に納品した。HUB、ルーター、無線LANアダプタ、ステーション、NAS、プリントサーバ、メモリ。仕事で納品するものはほとんどメルコ製品にしてあげた。感謝の気持ちだ。助けた蟻がお礼に砂糖を一粒持ってきた程度の恩返しにはなったのではないかと思う。

こうして2001年秋、僕はやっとブルースクリーン問題から開放された。それは同時にPCカードスロットとの決別を意味したのだが。

僕は毎日VAIOを持ち歩いた。会社はもちろん、仕事でお客のところに行くときも、2泊以上の旅行に行くときも。パソコンを持ち歩かないで出歩くのがすごく手持ち無沙汰だった。なんというか、携帯電話を忘れて出かけてしまった感じ。すっかり依存症だ。
仕事ではとっても役に立った。現在のようにUSBフラッシュメモリやポータブルハードディスクのない世の中だったから、10GBのストレージデバイス、しかもUSB/LAN/i・Linkが使用でき、議事録も書ける、、、は大きな武器となった。プログラムを納品する時にはもうフロッピーディスクを何枚も持ち歩く必要はなかったし、お客さんのシステムのデータがおかしくなった時も、現地で調査せず、データベースをそのまま持ち帰って会社でゆっくり検証できるようになった。もちろん個人情報保護の風潮の影響で、最近はこういうことは難しくなっているのだけれど。打ち合わせ中にテキストメモを書いておき、帰りの電車の中で議事録を完成させたりもした。

僕がみんなに薦めたからというわけではないのだろうけど、周りでVAIOを持つ人が増えた。SRを持つ人は2人いたし、C1が一人、505が一人。僕らはお互いを『VAIOマン』と呼び合った。いや、昔『バイオマン』という名前の戦隊ヒーローがいたんだってば。

[参考]超電子バイオマン
http://www.super-sentai.net/sentai/bio.html
♪恐れていては駄目だと 心に誰かのメッセージ
すげー面白かったんだってば。

『超電子バイオマン』はすごくカッコ良くて当時小学生だった僕のハートをワシヅカミにしたけれど、僕らは大人になって『VAIOマン』になったのだ。
2002年当時、世間で一番カッコヨイノートPCは、間違いなくVAIOだった。ホントだよ。

[06/02/21]続きを書きました。
SONY VAIO PCG-SR9/K使用記 (その5)
http://blog.so-net.ne.jp/yogi/2006-02-21

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